第4回 マーガレット・バーク=ホワイト

Margaret Bourke=White(1904-1971) 写真家
20世紀の真実をファインダーを通して直視する人生に賭けた写真家

マーガレット・バーク=ホワイト写真集マーガレットは独立記念日に印刷技師の娘に生まれました。金持ちではなかったものの、コロンビア大学、コーネル大学など5つの大学を卒業しています。もともと機械いじりが好きだった彼女の人生を決定した写真との出会いはコロンビア大学でした。当時の写真のパイオニアであるクラレンス・H・ホワイトに写真を学んだのです。学生結婚に失敗したマーガレットはまだ女性の職業ではなかったプロの写真家になることを選びます。成功するための第一歩として彼女が被写体にしたものは工場。新しいアメリカの象徴は工場にあると考えてのことでした。

後に彼女は出版王のヘンリー・ルースに見いだされ、『タイム』や『フォーチュン』の表紙を飾るカメラマンになります。機械的な美に魅せられ、工場やダムを撮影し、建設中からクライスラービルに通い詰め、完成後はその61階に自分のスタジオまで持ったマーガレットは、2度目の夫となったアースキン・コールドウェル(『タバコ・ロード』、『髪の小さな土地』で有名な南部出身の作家。2人は1939年に結婚し、5年後の離婚している)と共に南部の貧しい農民の取材に行ったことが、カメラマンからジャーナリストへの転機となりました。

そして、女性では初の第二次世界大戦の従軍カメラマンに異例の抜擢。それまでの彼女の行動範囲は、工場だけにとどまらず、大恐慌の最中の南部の貧しい農民や、北極探検、馬でのコーカサス旅行など、当時の女性の常識を越える活動が繰り広げられていたのです。

戦地に赴いた彼女はそこで傷ついた若い兵士や爆撃を受けた住民の悲惨な姿を撮影し続けましたが、「ファインダー越しだったから正視できた。カメラがなければ一分たりともその場にいることは出来なかったろう」と後に自分の弱さも語っています。大戦後のマーガレットは、インド、パキスタン、朝鮮を回り、朝鮮戦争の際には日本にも立ち寄って「血のメーデー」を撮影。戦後で一番有名な写真はガンジーを撮影したもので、彼はその直後に暗殺されました。

アメリカの発展を、世界の歴史を、カメラを通して20世紀の最前線を「見た」彼女は、48歳の若さでパーキンソン病にかかってしまいます。そして1971年に67歳でこの世を去りました。

もともと男性的な性格で非常に意志の強い女性だったのでしょうけれど、私は2度目の夫となったアースキンの影響も受けたのではないかと思ったりもします。歴史を見ていて思うのは、偉業を成し遂げた女性には必ず、男が関わっているということ。またその逆も言えますが、結局どんなに強い性格でも感情が揺らぐことはあるのでしょうね。それが「人」なのかもしれませんが……。そして、非常に行動的な女性であるマーガレットが、カメラも持てなくなるパーキンソン病にかかるとは何とも皮肉です。人生の奇跡と同時にその不思議を感じずにはいられません。(2000-07-25)


女流写真家として有名な彼女も映画の中で登場している。リチャード・アッテンボロー監督が撮った『ガンジー』で、ベン・キンングスレー扮するガンジーに会うシーンである。マーガレットの役はキャンディス・バーゲンが演じているが、名前くらいは聞いて知っていたマーガレットが、この映画の中では非常に印象に残ったことを覚えている。もちろん、出番は少ないし、見る前にそれを期待していたわけでもない。けれど、マーガレットと彼女を演じたキャンディス、2人の持つ知性的な感じがうまくマッチしていたのだと思う。きっと、マーガレット自身もとても存在感のある女性だったのではないかと私は想像してしまう。会ってみたかった女性の一人だ。