第17回 ナンシー・エジソン
Nancy Edison(1810-1871) 発明家エジソンの母
信じる力の強さを教えてくれる偉大なる発明家の母
エジソン(1847~1931)は誰もが知っている有名な発明家。その偉大さは数々の発明が現代の生活に結びついているものであることでもわかります。多くの発明をして特許をとり、私達の生活に役立つものを作り出しくれたエジソンは子供の頃から、どんなにか頭がよくて神童だったんじゃないか、と思いがちだけれど、実際は周囲からもてはやされ天才少年ではなく、ADHD(注意欠陥・多動性障害)であったという話は近年では多くの知るところとなっています。そのエジソンの人生を決定づけた人、彼の持つ才能を芽生えさえ育てた人、それは彼の母親のナンシーでした。
今回ここで取り上げたナンシー・エジソンについては、資料不足で彼女の人生の多くを語ることは出来ませんが、あえて紹介するのは私自身の現況によるものです。もし、私が母親になっていなければ、注目したりしなかったであろうナンシー。彼女の息子トーマス・エジソンに対する行動や信念は、時として母親としての心が揺らぐ私を励ますものであり、私自身への忠告でもあると思えるのです。
トーマスは製材所の経営者であるサムを父親に、牧師の娘であり小学校の教師をしていたこともあるナンシーを母親に、二人の7番目の子供として産まれました。非常に好奇心の強かったトーマスは、その「なぜなぜ少年」ぶりで周囲の大人たちを悩ませ、自分の抱いた不思議を確かめずにはいられません。
「火は何故燃えるのか? 火とは何なのか?」 その答えを物置小屋を燃やしてしまうほどの火を出してまで確かめたいトーマス。「卵は何故かえるのか?」 自分で鶏の卵を温めてヒナをかえそうとするトーマス。そして、小学校に上がり、教師に「1+1=2」と教えられ、それに異議を唱えたトーマス。『一つのコップの水にこっちの一つのコップの水を加えると、やはり一つです』 『この一つの粘土の塊とこっちの粘土の塊を加えてもやはり一つです』 教師はやや短気だったせいもあり、トーマスを「頭が腐っている」と言ってしまいます。
この状況に母親のナンシーは息子を退学させ、自分で教えることにしました。物置小屋を火事にした時点で父親からは見放されていたトーマスでしたが、ナンシーは好奇心旺盛な我が子をただの馬鹿な困ったチャンとは考えていませんでした。自宅での学習は算数や国語だけでなく、古典文学や歴史もあり、二人で議論することさえありました。そして、トーマスにこう教えたのです。「人間は人類のために努力して生きなければならない」
トーマスに科学の才能があると知ったナンシーは自宅の地下室を彼の実験室に与え、またトーマスもそれに応えるように次々と実験を繰り返し、彼の中に湧き出る不思議の答えを見つけ出そうと努力します。こうして、発明の天才は誕生しました。
ナンシーはトーマスが23歳で研究室と工場を建てた翌年、急死します。彼は、「僕を理解し、才能を開花させてくれたのは母だけ」とひどく悲しんだということです。
親の務めとは何であろうか、とふと考えることがあります。子を守り、立派な大人として社会に送り出すのはもちろんですが、私が考える一番のことは、その子がいかに自分に満足した人生を送れるかということです。親がしてやれる手助けは、子供の未知の才能を見つけ、伸ばすこと。その才能を信じてあげること。
私は常々、子供がずっと興味を持てること、ずっと好きでいられるものをたった一つでもいいから見つけて欲しいと願ってきました。親はそれを信じて自分の出来ること、与えられることをしてあげる、それが重要と思ってきた気持ちが実際の子育てを経験すると揺らぐことも多々あります。日々の生活のさまざまな事柄の中で。そんな時に、このナンシーのエピソードを知りました。頑固な私ををさらに頑固にしたこのお話は、親が子供に与えてやれる多くのことの中の一つにしかすぎないでしょうけれど、本当に大切な一つだったと私は考えます。
それは、トーマス・エジソンの有名なこの言葉が物語っていると思えるからなのです。「天才とは、99パーセントの努力と1パーセントのひらめきです」(2002-3-5)
2018/10/24追記:これを書いてから16年が経ちました。その日々の中での育児は、ある意味、闘いであり、また楽しみでもあり、そして悲しみでもありました。親が子に遺せるものについて考えた「ひとりごと」も当サイトで紹介していますが、子育てには正解も終わりもないのだと常々感じます。エジソンの言う1パーセントのひらめきも99パーセントの努力も「本人」のものであり、「本人次第」のことではありますが、このひらめきを大事にし、そして努力を怠らないことを根気強く、熱心に息子に教え続けたナンシーの「子育てのなせる技」とも言えるでしょう。それがどんなに大変なことであるが、それは今自分が経験してきたからこそ、痛感し、自分が力不足であったと後悔し、母としてのナンシーの偉大さに改めて「すごい」と感心してしまうものでもあります。周囲から問題児扱いされていた息子が、立派な青年に成長し、ひとりでもやっていけるとおそらく実感したであろうこのときにナンシーは亡くなります。自分の使命は果たしたと感じたのかもしれません。ここにひとつの「生きる意味」を見いだすことも出来ますね。実際は彼女は自分の生きる意味なんて考えていなかったかもしれませんが、ふと「天命」という言葉の意味を考えてしまいます。今回、サイトの引っ越しをするにあたって、これまで書いてきたものを再度読み直しながらアップロードしていますが、まだまだ自分が未熟で天命を全うできていないのだと感じてしまいました。
ナンシーが登場する映画はどうやら1940年のアメリカ映画「Young Tom Edison 」の中のよう。トーマス役をミッキー・ルーニーが演じています。エジソンのことを描いた作品ではドラマコーナーでも紹介している「ともだちは科学者」シリーズが、なかなかよかったです。エジソンのお話は99年の「エジソン:映像の魔術師(Edison: The Wizard of Light) 」。このシリーズは、音楽家と芸術家シリーズもあったようで、すっかり見逃してしまった私はまた再放送をしてくれないものか、と期待しています。