第24回 足立タカ
あだちたか(1853-1924) 幕末志士の妻
「振り返らずに通る者は豪傑だ」と志士達に言わしめた美女
タカは京都河原町の薬種商亀田屋足立太郎ヱ門の娘だ。和歌を大田垣蓮月に学んでいる。このタカのことを当時の志士たちは、「亀田屋の前を振り返らずに通る者は豪傑だ」とうたっていた。それほど美しい娘だったらしい。
彼女は土佐藩目付役で京都藩邸に出仕中の岡本健三郎が亀田屋に止宿していたことから、彼と結ばれた。幕末に上洛して活躍した志士たちは、芸妓などと結ばれたケースが多いことを考えると生粋の町娘が、坂本竜馬と共に行動していた岡本と一緒になったのは、珍しいかもしれない。もちろん、彼女は町娘とは言え、蓮月に和歌を習っていたのだから、この頃の商家の娘としてはなかなかの教養の持ち主とも言える。
タカは明治18年に岡本と死別し、その後婿養子を迎えたもののその夫とも死別した。
足立家には、坂本から岡本宛の一通の書翰が残されている。慶応3年(坂本が暗殺される半月前)に、由利公正との会談のために福井に行く坂本が岡本を誘ったものだ。この亀田屋は、現・高島屋京都支店である。
幕末の女性を見ていると、美人が多いが(だからこそ、後世に名を残す志士や偉人の妻になったのかもしれないが)、短命か、男運が悪いかのどちらのような気になってしまう。短命なのはいろいろと理由もあろうが、男運が悪いというのか結婚運がよくないというのか、死別とか離婚のケースが割りにあるように思う。当時の状況を見れば、死別は多かったかもしれないとも推測できるけど、凡人の私などは美人も苦労が絶えないなあ、なんて感じてしまうのだ。
平凡が一番と思うけど、やはり人にはその人なりの生きるべき道というものが決まっているのではないかと歴史を振り返るとき、私にはそう思えてしまう。人生の最中にいるとそれには気がつかないけれど、いつもそれを心していることが、潔く生きるためのヒントになるのではないか、長い歴史を紡いできた多くの先人達の人生はそう語っているように見えてくるのだが、いかがであろうか?(2005/2/6)
岡本健三郎(1842~1885): 土佐藩士。坂本竜馬は中岡慎太郎といつも一緒に行動していたように思えるが、岡本は坂本暗殺の11月15日にもその直前まで一緒に近江屋にいたのだから、かなり坂本の信頼厚い男だったと言えるのではないだろうか? 坂本の葬儀も岡本の尽力によるところが大きいという。維新後は大阪府に出仕、太政官判事などを務め、明治6年の征韓論で辞職。明治18年に44歳で亡くなった。墓は東京の谷中霊園にある。