愛しすぎて/詩人の妻
Tom & Viv 1994年 イギリス作品
監督:ブライアン・ギルバート
出演:ウィレム・デフォー(トム役)、ミランダ・リチャードソン(ビビアン役)、ローズマリー・ハリス、ティム・ダットン
原作:マイケル・ヘイスティングス
売れない詩人のトムと、彼を励まし支え、アイデアを出して詩作・詩集の出版に尽くしたヴィヴィアンとの出会いと別れ。彼女はトムが有名になるつれて、持病とも言える頭痛と腹痛に苦しむことが多くなり、薬の誤った服用から精神までも病んでいくことに…。そんな彼女に献身的なまでの愛情を注ぐトムだが、現実の実生活との間で自分自身も疲れ果ててしまい、神に救いを求めるようになったトムとヴィヴィアンの溝は深まってゆき……。英国の有名な詩人T・S・エリオットとその妻ヴィヴィアンを描く作品だ。
似たようなケースで、スコット・フィッツジェラルドとゼルダ、高村光太郎と智恵子等を思い出させる話でしたが、芸術家と呼ばれる人々には、時にこうした破滅的な愛の中で成功していくケースがあります。この苦しみは多分本人達はもとより、観ているこちら側も切なく、もどかしく、やるせなくなるもの。
自由奔放で気ままなヴィヴィアンは、同時に繊細でもろく自分をコントロールすることが出来ない。激しく深い情熱を胸の奥底に秘めているであろうトムは物静かな表情をたたえながら、そんな妻のすべてを受け止めようとすることで愛を貫こうとする。けれど、「このままでは共倒れ」と言う周囲の言葉にトムのジレンマは大きく揺れるのです。
「愛すること」とは、何か。二人は相手への思いが深すぎて、より苦しむことになったのではないのか。この「愛しすぎて」という邦題の通り、深さ故にお互いが傷つくこともあるのではないのか、と思うと、その残酷さと皮肉に悲しみが増すと同時に愛とは無情なものなのかと虚しさが心に広がってきます。
おそらく二人は、相手を愛しすぎる故に別離を選んだのでしょう。愛する思いとは裏目に出てしまう現実の生活に押し潰されそうになり、トムはヴィヴィアンの家族と相談して彼女を療養所に入れ、離婚することを決断します。狂気と正気の狭間で苦しむヴィヴィアンは、その診察の時にあえてそれを受け入れるのです。
こんなにも深く愛する人との別れを受け止めることが出来るものなのか、私はずっと疑問でした。自の死よりもつらい選択は残りの人生を生きる屍となって送ることと同じなのではないのかと。それでもヴィヴィアンは一人で療養生活を続け、病気は回復します。そして、アフリカから戻った弟が訪ねてきたときに「トムの好きなチョコレートを作ったの。会うことがあったら渡してね」と頼みます。一度も見舞いに訪れたことのなかったトムに対して、まだ初めてあったときと同じような気持ちを持っていたヴィヴィアン。生涯賭けて愛することの意味の深さを見せつけれたようなラストでした。
ヴィヴィアン役のミランダ・リチャードソンは、役柄によって随分印象の変わる女優だと感じると共にこの役がとても評価されたというのがわかると実感するものでした。