アマデウス
Amadeus 1984年 アメリカ作品
監督:ミロス・フォアマン
出演:F・マーレイ・エイブラハム(サリエリ役)、トム・ハルス(アマデウス役)、エリザベス・ベリッジ(コンスタンツェ役)、ロイ・ドートリス(レオポルド・モーツァルト役)、ジェフリー・ジョーンズ(皇帝ヨーゼフ二世)、サイモン・キャロウ(エマヌエル・シカネイダー)
アマデウスの生涯を「彼を殺した」と病院で告白した老人の語りで見せていく長編。その老人とは、かつては宮廷お抱えの音楽家サリエリ。彼は訪ねてきた技師に、自分とアマデウスことモーツァルトとの、出会ってからその死までを語り始める。モーツァルトの死因は暗殺とも言われ謎に包まれてきたが、近年彼は病死であったという線が強いと新聞にも掲載された。映画ではどっちともとれる死を描いている。衝撃的だったのは、彼が無縁墓地(共同墓地?)のようなところに埋葬されたラストシーン。冷たそうな雨が降る中、彼を見送る人々もわずかだった。現代だったら、国葬にだってなるではないかという偉大な音楽家の哀れな最期。
ドラマで描かれているモーツァルト像は、あの彼の繊細で華やかな音楽からは想像できないほどいたずら好きの子供がそのまま大人になった傲慢で我儘な男だ。現在残っている彼の肖像画とも似つかわしくないほど、下品で猥雑なゲラゲラ笑い、ガハハ笑いを大口を開けてする。本当にこんな人だったのだろうかと疑問も感じる。映画だから、かなり脚色もあるだろうが、それにしてもイメージぶち壊し?
彼自身は少年の頃から音楽家の父親に付き添ってあちこちを回り、おそらく常に大人の中にいた子供であったろうし、人々にその才能を披露してきたことを思えば、当時の時代でも異色の人物であり、万人とは違う常識を持っていたとしても不思議はないのかも、とも思う。とはいえ、貴族相手の上品な坊ちゃんというイメージを覆すモーツァルトの態度とのギャップが、ドラマの中で次々に展開していく彼の天才ぶりやこだわりとどうしても結びつかない。
一方、サリエリはモーツァルトが注目される以前から宮廷でその音楽の素晴らしさを認められオペラも書いている。この地位を手に入れるまでの彼の努力は並大抵ではない。子供の頃から音楽のためにだけ生きてきたと言ってもいい。しかし、その彼の地位や名声を揺るがす人物が突然現れた。モーツァルトはサリエリが努力でものにしたものをサラリとやってのけ、出来て当たり前のように振舞う。先輩のサリエリに対しても敬意のかけらもない。サリエリの心中はいかばかりか。
生まれながらの天才と努力家という対比は私達の実生活の中でも近い体験を誰でもしているだけに、サリエリに肩入れして観てしまう。何日もかかって書き上げた曲を1回聞いただけでスラスラ書き、その上「こうした方がいい」と手直しさえしてしまうモーツァルトに感嘆と賞賛だけでなく、嫉妬や羨望、時には憎しみさえ抱いてしまうのはサリエリだけではないだろう、とさえ思えてくる。
物語はモーツァルトの、数々の名曲を後世に残した偉大な音楽家としての一面だけでなく、破天荒で感情的なその波乱に満ちた人生を描いて「天才もひとりの人間」だと感じさせてくれる。だが、そこにはモーツァルトの対極にいたサリエリという音楽家の実に人間的な複雑な心の揺れや動きもある。天才を前にした秀才の誇りと苦悩を描く映画、そうも言える一作なのではないか、などと様々なことを考えさせられた。(2009/08/12)
追記:音楽家についての作品なので、当然、サントラは素晴らしいです。脳にもよいとされるモーツァルトの作品がふんだんに使われ、劇中も効果を発揮していると思います。(2019/06/08)