フィッシャー・キング

The Fisher King 1991年 アメリカ作品
監督:テリー・ギリアム
出演:ロビン・ウィリアムス(パリー役)、ジェフ・ブリッジス(ジャック役)、アマンダ・プラマー(リディア役)、マーセデス・ルール(アン役)、ララ・ハリス(ソンドラ役)


実のところ私は、この映画はノーチェックだった。最初は特別心ひかれるものがなかったのだ。テリー・ギリアム監督と聞いても絶対に見たいと思うほどではなかったし、『ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』のジェフ・ブリッジズも『いまを生きる』のロビン・ウィリアムズも言ってみればハズレのない俳優だから、出来は手堅く平均点になっているだろう、と思うものの魅力を感じなかった。

ところが、である。何気なく開いた夕刊に載っていた『フィッシャー・キング』の広告が、まるで頭に何かピカッと閃くように私の心に焼き付いて、訳もなく「この映画を見なければならない」という気持ちに駆り立てた。『聖杯を探す男達の話って一体どんな内容なの?』という疑問を胸に、私は翌日何の予備知識もないまま、この映画を見に行った。

ニューヨークのラジオの人気DJのジャックは、リスナーのカリスマ的存在だが、彼の不注意な発言が引き金となって、町で無差別大量殺人が起こってしまった。ジャックの生活は一転し、自暴自棄の日々を送る始末。そんなある日、暴漢に襲われたジャックを助けたのは聖杯を探しているという浮浪者パリー。大学教授であった彼は精神を病んでいた。

ジャックは、この気味の悪い男が、自分の責任の一端でもあるあの忌まわしい事件の被害者となった女性の夫であったことを知り、何とか力になりたいと思うようになる。全く接点のなかった、大人気を博したカリスマDJと愛妻と幸福な家庭を築く有能な大学教授が不幸な事件を境に一転した人生を送ることになり、交わることのなかった線が交差した時、そこに起きるのは……。

この映画は、傷ついた男達の話でもあるし、その男達と関わり合う女達の話でもあるし、そして彼等の恋の話でもある。受取り方は見る人間それぞれ。私を意味もなく引き付けたこの作品は、人間の話だった。人間一人一人の話。『聖杯伝説』を通して描く人との出会い、再生のドラマだ。皮肉な出会いはお互いを苦しめ更に傷つける。この上もなくどん底の二人が『聖杯を探す』ことで苦しみや悲しみから見出だすものは何か。この出会いの苦しみは同時にお互いにとって救いでもあったのだ。

主演二人の俳優は、人生の明暗と機微を実にリアルに、しかもあったかく演じて見せる。大都会がおとぎ話の中の町のように見えるギリアム監督独特の不思議な映像マジックは、ここでも光っており、悲劇の重苦しさを和らげてもっと別な所に目を向けなさいと言っているよう。『聖杯伝説』を通して描く人との出会いと再生のドラマ、この映画には人との出会いを本当に考えさせられた。(2009/06/25)