ニュー・アムステルダム 医師たちのカルテ
奇跡と祈り
海外ドラマを紹介しているChannel36では、これまでも医療ドラマを何本か紹介しています。どのドラマも大ヒットし、中身の非常に濃い作品でした。アクション好きの管理人でも、大いにはまってしまう医療ドラマのリアルさ、それぞれの人達の苦悩や生きる姿は、共感だけでなく励ましでもありますね。近年では紹介したいと思いつつもサイトの引っ越しが進まずに(言い訳ですが)出来ていない大好きな作品が何本か控えているのも事実です。その中で今月は「ニュー・アムステルダム 医師たちのカルテ」の1エピソード。
様々な患者が救急で運ばれ、通院しているこの病院に、急患として運ばれてきたのは、治療法のわからない病に倒れた10代の少年です。治療に手を尽くすも命の灯は消えるのが目に見えています。主人公のマックスは定期的に病院に祈りに来てくれているグループのリーダーに、非科学的とは思いつつも「この少年のために奇跡を起こしてほしい」と頼む。彼らが祈りに来たときには、様々な奇跡が病院内で起きているというから。「少年の分の奇跡が残っているなら頼む」と言ったマックスにリーダーは言います。「奇跡はそういうものではない」と。彼は奇跡とは「人が理解できるものと理解できないものとの境界線を示す言葉だ」と言うのです。では、「祈りは何?」と問うマックスに返ってきたのは、「赦しや感謝や導きのためではない。自分の内を見つめて正しく祈ることができれば、自分を変えられるということ」という返事。
これは、発見でした。というか気づかされた? 奇跡は人の及ばない力(神)が起こす科学では証明できない神秘の事象だと思っていたけど、そして多くの人がそう思っているでしょうが、そういうことではなかったのですね。これは深いです。リーダーは「自分の中の境界線をみつけることができれば、その時奇跡は起きるかもしれない」とも言います。奇跡は祈れば起きるのものではなく、神の意志を変えられることでもないと彼は言う。
信心深くないマックスも神頼みしたくなる状況、それは誰にもきっとあって無意識に神様に祈り、頼んでいたりする。でも、祈りが届かなければ奇跡は起きない、とか、たくさん祈ったから奇跡が起きたという話ではなかったのです。そう考えるとこれは限られた宗教や神といった世界の話ではなくて、人が生きていく上での哲学、道標のような気もしてきます。印象深いエピソードでした。(2020/12/19)