ドクター・クイン 大西部の女医物語③

偏見や差別の中で見失いがちなもの

今月は11日からAXNで大好きな海外ドラマ「ドクター・クイン 大西部の女医物語」の放送が開始しました。このドラマについては、すでに当サイトでも紹介済なのですが(「ドクター・クイン 大西部の女医物語」へ)、しばらく再放送がなかったあとの今回の放送決定に私のみならずファンの多くは歓喜しているはず。近年、ファミリードラマではあるものの、「大草原の小さな家」や「アボンリーへの道」といった19~20世紀初頭が舞台のドラマの再放送が続いて、昨年はNHKで新たな赤毛のアンのドラマ化「アンという名の少女」(こちらもいずれ紹介したい作品!)も放送されました。(あ~、是非、「ヤングライダーズ」や「荒野の七人」も全部放送してほしい!)

「偏見や差別の問題で放送できない西部劇(あるいはその時代が舞台のドラマ)」なんていう噂が一時期は流れていてファンをがっかりさせていたのだけれど、そんな話は薄らいだのかな?、なんて勝手に想像する管理人ではありますが、その辺の経緯はどうでもよい!ってのが本心。重要なのは放送されること! だだ、残念なのは、現段階では第3シーズンまでの放送のようで最終回までではないこと。せっかくなので全部放送してもらい、それがファンの願いであることは間違いないのに!
ともあれ、放送は実に嬉しい、と思いつつ、このタイミングでまたまた差別だ、蔑視だという騒ぎが起こり、時の流れを感じつつも人の成長ぶりの遅さには「あいも変わらず……」とため息が出たっていうのも事実であり……。

人はいつになったら、幾つになったら、生活の中で、人生の中で当たり前のように平等でいられるのか、平等であることを実行できるのか、それが問題ではあるものの、でも解決策は多分見つけられないのが本当なのでは? と思ったりする管理人です。差別も蔑視も偏見も実に不快で傷つくことであるのは事実。でも、それを壊滅することができないのならば、その中でいかにして自分らしく(決して、男らしく、とか女らしく、ということではありません)生きるのか、「ドクター・クイン 大西部の女医物語」は、そんなヒントがある作品であることは間違いないと思います。(2021/02/15)

 

ドクター・クイン 大西部の女医物語①
ドクター・クイン 大西部の女医物語②

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