ニューヨークの恋人
KATE & LEOPOLD 米
監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:メグ・ライアン(ケイト・マッケイ役)、ヒュー・ジャックマン(レオポルド役)、リーブ・シュレイバー(スチュアート役)、ブレッキン・メイヤー(チャーリー役)、ナターシャ・リオン(ダーシー役)、ブラッドリー・ウィットフォード(J.J.役)
頬を寄せるメグとヒューの写真が印象深いこの映画は、確か宣伝でもすごーくロマンチックなストーリーを思わせる予告だったと思う。やはりロマ・コメの女王と言われたメグ・ライアンらしい選択かなあ、と私は感じたのだが、確かにそうだった。ただ、さすがにメグの年は感じずにはいられなかったが……。
時を超えた愛、というテーマで思い出すのは「ある日どこかで」。本当に素敵な作品だった。こうしたテーマは私はすぐに大好きな作家のジャック・フィニィを思い起こしてしまうのだが(彼の作品もいくつか映画化はされている)、本以上に映画だといろいろと細かい部分で突然気になることがあって、でもそれはやはりタブー。つっこむと混乱するし、ロマンチック度合いも一気に下がる。これからの季節にはぴったりとも言えるこの作品に、とりあえずはどっぷり浸ろう、なんていうのが女心ではないか?
キャリアウーマンのケイトは、今、昇進がかかっている大きな仕事を任されている。ダイエットマーガリンの宣伝だ。しばらく、付き合っていたスチュアートは時空を超える研究に熱を入れすぎ、二人の間は破局。そう入ってもアパートの上下に住む二人の関係は完全に切れているとは言いがたい。ケイトへ未練を残すスチュアートだが、ケイトはおかしな研究に没頭する彼にはもうコリゴリ。今は仕事一筋。
そんなケイトはある日、スチュアートの部屋で格好が変わっているだけでなく、様子もおかしなレオポルドと出会う。スチュアートは友達だと口を濁すが、明らかに周りにいる男性とは違うし、これまで彼は自分の友達を紹介してくれたこともない。実はレオポルドはスチュアートがブルックリン・ブリッジを通じて開く時空の入り口を利用して行った125年前のニューヨークに存在していた英国貴族。彼は自分の花嫁を決めるパーティー会場で忍び込んでいたスチュアートを不審に思い、追いかけてきた末に共に現代のニューヨークにタイムスリップしてきたのだった。貴族の面子を守るために金持ちのアメリカ娘と結婚しなければいないレオポルドと、男より仕事、とキャリアアップに精を出すケイトが出会って……。
と、ここから、現代では風変わりに映るレオポルドの白馬の王子様ぶりが展開される。次から次へと繰り出される彼の行動やセリフは、やはり現代においてはちょっと浮いたものかもしれない。でも、女達は口には出さないけど、案外それが望みなのかな、とも私は思う。だからこそ、この映画がそれなりにヒットし、認められているんだろう。でなければ、御伽噺の域を出ることはないはず。
現代女性はやりたい仕事に就くことが出来、仕事振りも上司に認められ、欲しいものは何でも自分で買うことも出来るようになったかもしれない。長年の歴史の中で女性が目指してきたものの一つである自活(自立ではなく自活)は実現した。けれど、それが本当に望んでいたものなのか、今になって考えると違っていたのかも? という疑問の答えが、この映画にあった。なんて思うのは考えすぎか?
結局、人は1人では生きられない。結婚という形を選ぶのか否かは別としてパートナーは必要なのだ。レオポルドのようにすべてを兼ね備えたような男性がいるとも思えないけど、映画の中でそれを夢見ることは可能。それを満たしたヒュー・ジャックマンに、多くの女性がメロメロになってしまったのは納得、納得。メグ・ライアン扮するケイトをディナーに誘うあのロマンチックなシチュエーションのセッティングは、恋する女性なら一度は思い描くシーンのはず。
かく言う私もその1人。「X-メン」の時にはそれほどいいとも思わなかった彼が、あのSFから一転して(この作品もある意味SFではあるが)、こんなにもクラシカルな貴族の役でそのハンサムぶりを披露してしまうとは! そのギャップもまた魅力であることが証明されてしまったようなもの?
そのレオポルドの気になる発言、それはケイトに頼まれてマーガリンのCMに出演することになり、おいしそうにダイエットマーガリンを食べることになるのだが、実際はおいしくない。演技とは言え、出来ないと怒り出すレオポルドをなだめるケイト。「好きじゃないこともやりたくないこともやるしかない時もある。生きていくため」とケイトは言うが、レオポルドの返事は「この時代の人間は便利さと引き換えに【正直】という美徳を失ってしまった」。どちらの意見も尤も。それでも、今の私にはレオポルドの言葉が身近に感じられた。この二人がどういう結末を迎えるのかは、映画で確かめてもらいたい。(2007/12/04)