第8回 マーガレット・フォンテーヌ
Margaret Fontaine(1862-1940)
蝶収集家蝶に魅入られ人生を捧げたビクトリア朝時代の早すぎた女性
1940 年、カリブ海のトリニダト・トバコ島で倒れている一人の老婦人が発見されました。傍らには蝶を採る網。この女性が蝶収集家のマーガレット・フォンテーヌ。マーガレットのことがわかったのはごく最近のこと。英国ノーフォーク州ノリッジのキャッスルミュージアムに『フォンテーヌ・ネイミーコレクション』が寄贈された時に日記もあり、その遺言により1978年に公開されて、世に知られたとのこと。
この蝶を収集したマーガレットの写真は、いかにもビクトリア朝の女性らしく、きっちりと首元の詰まった襟に手首までの袖と長いスカート、肌の見せない服を着た生真面目な女性といった印象を与えます。マーガレットは、そんな慎ましやかであることが女性の美徳とされたモラルの中の時代に一人で昆虫網を片手に蝶収集をした女性です。
彼女はまずまずの家柄と財産、そして有力な親戚を持っている家庭の2番目に産まれました。父親は1877年に他界しましたが、家族は暮らし困ることはなく、特に母の兄が父親代わりとなって子供たちを可愛がり、多少、躾はのびやかであったものの、当時の典型的な家庭の娘として成長するのです。
その彼女の転機は、1891年に妹と外国旅行に出かけたことでした。21歳の娘盛りだったマーガレットは、その頃ノリッジ教会の聖歌隊にいた貧しい青年セプティムス・ヒューソンに真剣に恋をし、アイルランドに帰った彼を追いかけていくものの、身分違いの恋は実らずに終わりました。
この外国旅行で苦い恋の傷跡は癒やされましたが、もともと好きだった美しい自然に魅入られた彼女は、蝶を追いかける人生に身を投じることになるのです。
各国を旅し、蝶を収集して故郷に戻ると、暖かな家族に囲まれ一時は落ち着こうと考えるマーガレットではあるのですが、やはり旅立たずにはいられません。欧州を活動的に回る彼女は蝶収集以外にも、その土地の歴史や文化に触れて知識を増やし、そんな彼女をエスコートする男性は常に現れましたが、それでも彼女は落ち着くことが出来ませんでした。
旅は欧州を越えて中近東にまで及んでいました。そして、1901年にシリアのマダカスカルで彼女は通訳兼ガイドのカリル・ネイミーと運命的な出会いをします。すらりとした美青年の彼はマーガレットより15歳年下の24歳でした。しかし、彼女の蝶探しのお供をするうちにネイミーは恋に落ちてしまうのです。
戸惑うマーガレットに情熱的なまでに結婚を申し込むネイミー。彼は「食費さえ払ってくれたら、どこへでもついていく。一生あなたに仕える」と言います。マーガレットの心は一途な青年の情熱に動かされ、こうして密やかなロマンスが始まりました。
やがて、マーガレットの英国への帰国。彼女は浅黒い肌の年下の恋人を連れて帰国するのはためらわれ、2人は別れます。けれど、帰郷してはじめてマーガレットはネイミーの存在の大きさに気づきます。英国紳士の求婚を振り切って再び旅立った彼女は、旅先でネイミーと落ち合い、また2人の旅が再開したのでした。今度は2人は離れることはありませんでした。
現在よりも遙かに規制やモラルが厳しかった時代に、妹レイチェルとあるいは一人で、そして時には自転車に乗って海外旅行に出かけたマーガレット。当然、当時の欧州は護身用のピストルが必要であるほど女性の旅は危険が伴っていました(当時の欧州は現在のようにパスポートがなかったので行き来はかなり自由だった)。そんな中でも「人間を信じる」と言って銃を持たずに旅したマーガレット。
彼女の最期は、自宅ではなく、遠く離れた異国の地。そこで一人で迎えたものでした。その時の彼女の気持ちを今は知る由もありません。けれど、それが孤独であるかとか不幸であるかと言えば、そうは言い切れないのではないでしょうか? 好きなことを選んだ彼女には捨てなければならなかったもの、諦めなければならなかったものもあったでしょう。それでも選んだネイミーと蝶を追う道。そこに後悔があったとは、私には思えないのです。
マーガレットが死んだ後の地のネイミーの消息は不明だということです。(2000-12-02)
マーガレット・フォンテーヌこんなに波瀾万丈な女性なのに、映画化されていないのか、観たことはない。仮に映画がされていたとしても日本で公開されるのか怪しいし、されても単館ロードショーだろうね。それでも観てみたいと思うけど……。
映画化するとしたら、マーガレット役にナターシャ・リチャードソンはどうだろうか? 問題はネイミー役。これ難しい。誰か、この俳優は?と思う人がいたら、教えて下さい。