第18回 マーガレット・ワイズ・ブラウン

Margaret Wise Brown (1910-1952) 作家
その意思が導いた子供のための本『おやすみなさい、おつきさま』の作者

 彼女に出会ったのは、私のこれまでの読書歴の中でも「これは!」という時にいつも働く直感のように、偶然でありながら必然でもある、そんな小さな出会い。それは、たいていの女性がそうであるように私も時には通販を楽しんでいるが、そのカタログの中にあった。

『おやすみなさい、おつきさま』。この絵本はどんなものなのだろう? 妙に気になる絵本は、はじめは自分が読むために買ったものだったが、カタログの紹介にもあったように、そして本の最後の作家紹介の中にもあったように、それは子供達を「現実と不思議の世界へ導く緑色のお部屋」の話であり、私の子供もその例外ではなかったことに驚かされた。

毎日、毎晩、「おつきさまの本、読む」とねだる彼の目には、どんな風景が映っているのだろうか? 子供時代を過ぎて、現実の水垢にまみれた私たち大人には見えない風景。この時期だけにしかないと言っても過言ではない常識にとらわれない豊かな感受性と想像力、それを失わずに大人になることは出来ないものか、出来るだけ長く持ちつづけることは出来ないものか。そんな思いを実現させてくれるのではないか? という気にさせた本を生んだ女性、それが、マーガレット・ワイズ・ブラウンだ。

彼女は1910年、ブルックリンで実業家の父と女優を目指していたこともある母との間に2番目の子供として生まれた。勉強よりも体を動かすことが好きで近所ではリーダー的存在である一方、夢見がちな少女の部分も持ち合わせ、既にこの頃には年下の子供達にお話を作って聞かせたりもしていたようだ。マーガレットはヴァージニア州のホリンズ・カレッジ大学を卒業後、ニューヨーク市のバンク・ストリート教育大学に進む。それが、彼女の人生を決定付けた。

ここには世界でも有名な幼年期の発達に関するセンターがあり、「子供は行動することにより学ぶ」という進歩的な考えの元、研究が進められていた。それは、大学創設者ルーシー・ミッチェルの「毎日の経験に根ざした新しい文学”ここで今”の方が、これまでの伝統的な童話や歌よりも子供に与えうるものが多い」というヴィジョンから来ていた。

そこで天職を見つけたと感じたマーガレットは、ルーシーが発足させた出版社スコット社の初代編集長に就任し、同時に作家として多くの本も書いた。その活躍に惹かれて、作家や画家が多く集まるようになり、スコット社の絵本もマーガレット同様に注目されるが、彼女達が目指す「子供のための新しい絵本」はアメリカ図書館員たちには評判はよくなかった。

おやすみなさいおつきさま (評論社の児童図書館・絵本の部屋) 1945年、マーガレットは「おやすみなさい、おつきさま」を書き上げ、ハーパー・アンド・ブラザーズ社のアーシュラ・ノードストロームの協力で47年に出版する。絵を書いたのはマーガレットがもっとも信頼する画家クレメント・ハード。本はとても好評だったが、すべての人に受け入れられたわけではなく、ニューヨーク市図書館の推薦図書には加えられれなかった。

その後、本の売れ行きは下火になるが、53年には売上が急増し、以降それは延びつづけるという異例の結果が出た。けれど、マーガレットはこの喜びの結果を知らずにこの世を去ってしまう。彼女は52年に異国の地フランスで塞栓の手術後に亡くなったのだ。まだ42歳という若さであった。

90年代に入って、アメリカでは「おやすみなさい、おつきさま」は子供が寝る前に読み聞かせる本の同義語になっていると言ってもいいほど浸透しているという。少女の頃、「ピーター・ラビット」の絵本が大好きだったマーガレットは、我々の身近なもの世界と不思議な想像の世界との密接なつながりというものを疑わなかったということだ。(2002/06/12)


マーガレット・ワイズ・ブラウンこの「おやすみなさい、おつきさま」の本を「ダーク・エンジェル」の中の1エピソードで父親が娘に読み聞かせるというシーンがあり、アメリカで浸透しているということを実感した瞬間だった。彼女の本はたくさんあるが、日本ではAmazon.comで調べたところによると、翻訳本が26冊購入できるよう。興味のある方は是非、確認を。今回の紹介はこちらを参考にさせていただきました。
『おやすみなさいおつきさま』ができるまで「『おやすみなさい、おつきさま』ができるまで」(評論社)
著者=M・W・ブラウン/C・ハード/L・S・マーカス
訳者=せたていじ/中村妙子