2014年5月8日 アン人気再熱?

NHKで「花子とアン」が放送されて、一気に翻訳家の村岡花子が注目されているようだ。本屋さんの棚にも彼女がコーナーが出来ていた。テレビの威力は、というか、NHKで放送するというステータスなのか、「八重の桜」の新島八重同様、これまでかなりマイナーと言える女性が注目されてきたのは、星樹館で歴史上の女性を紹介してきた私としてもちょっと嬉しい。村岡花子は星樹館では取り上げていないが、実は2008年に百貨店で開かれた「出版100周年記念企画 赤毛のアン展」で彼女のコーナーもあると聞いた私は、その催事に行っている。このコーナーでもその時のことは書いた。今回のブームにあやかり、その時のものを再度紹介(申し訳ないが、私は「花子とアン」は見ていない)。


日本橋三越で開催中の「出版100周年記念企画 赤毛のアン展」に行って来た。私の目的は「アン」ではなくて、「モンゴメリー」だったが、今回の展示ではモンゴメリーの書いた「赤毛のアン」の直筆原稿の展示もあるとあって、わくわく気分で地下鉄に乗って会場へ! 
 ここはアン一色。アンで始まり、アンで終わるといった「赤毛のアン」ファンにはたまらない場所だった。実のところ、私はアンのファンではない。でも、少女の頃、今回同時に展示・紹介された村岡花子さんの訳による「赤毛のアン」をもちろん読んだ。同作家、同訳者による他の作品も読んで、思いにふけったものである。アンは大好きな作品、キャラクターではないにしろ、何度も読み返した私にとっては10代の頃の大切な小説の1つであることは確かだ。 
 モンゴメリーと私の再会は、「青い城」という作品だ。この作品が私を彼女のファンにさせた。そして、NHKで放送された「アボンリーへの道」(原作はモンゴモリーの「ストーリー・ガール」である)。このドラマがさらにモンゴメリーの魅力を広げ、プリンス・エドワード島の美しさを堪能させてくれた。
 今回の三越での展示はそのすべてをふんだんに見せてくれるものであった、と私は思う。そして、何より、やはり、モンゴメリーの直筆原稿、使ったタイプライター、村岡花子の直筆翻訳原稿を間近で見ることが出来たのは、私にとって大いなる感動であった。本当に震えた。それ以外にも、アンの部屋、ダイニングルームの再現(銀食器、薔薇の模様のティーセットが置かれたテーブルセッティングはドラマで見たまま)、当時の品々(素晴らしいキルト作品も)、出版された「赤毛のアン」の展示も嬉しかった。
 また、4つのコーナーのうちの1つが翻訳家の村岡花子のコーナーであったことも私に足を運ばせた理由の1つだったが、そこでも十分に満足できた。あまりスポットライトの当たることのない翻訳家、でも日本語で表現する翻訳の素晴らしさがなければ、名作は名作とは足りえんとも言えるのではないのか? 私は彼女の翻訳以外のモンゴメリーの作品も読んではいるが、初めて読んだのが彼女のものだったせいなのか、それを超えるものはないような気がしてしまうのだ。
 とにもかくにも久しぶりに嬉しい展示を見た。帰りにお決まりのお土産コーナーがあって、あれこれグッズが売っていたのだが(アニメの「赤毛のアン」のものもあった)、こうした場所であまり土産物を買わない私も、今月出版された本、「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」を買った。彼女の生涯を辿るのが楽しみである。


現在は私は映画も歴史も休暇中状態の生活を送っている日々であるものの、日本の歴史上の女性を振り返ると、結構クリスチャンの人が多いなあ、と気づかされることがある。女性は男性ほど資料が残っていないせいもあってか、よく知られている女性は数としたら少ないだろうから、たまたまなのかもしれないが、私が星樹館で取り上げた若松賎子も現フェリス女学院の前身であるミス・キダー学校で学び、クリスチャンになった。明治時代になってから、宣教師も増え、女学校も出来、キリスト教信者が増えていったことは想像つくが、何か共通点はあるのだろうか?
宗教は生活(人生)と密着している。人は生きる上での道しるべが必要だから、目標になりやすいのかもしれないが、それだけだろうか? 明治の女子留学生たちも洗礼を受けている。宗教の優劣よりも、英語で物事を考えるようになると、キリスト教も受け入れやすくなるのかもしれないし、教会の日曜学校などで触れることによって心の支えとなる実感を抱きやすいのかもしれない。特に明治、大正期となれば、国全体が大転換をした時期、と考えると未知の世界に踏み出すには揺るがない信念のようなものは必要だったのだろう。もちろん、だから、キリスト教はスゴイ、と言うつもりは私にはないのだが……。
基本的に無宗教の私には、宗教の必然性とか、その大義というものよりも、彼女たちを動かした原動力は何かという点に興味が沸く。いつの時代も初めてのことにチャレンジするのは、あるいは女性の立ち入ったことのない世界に入っていくのは想像以上に大変であるに違いない。そこへ敢えて挑戦する気持ち、続けていく気力の源とは何だろう?
それは、”史上初”がつく人物になりたい欲でも、男に勝ちたい競争心でも、信じる宗教の教えでもなく、単純に「好き」という非常に根源的な気持ちなのかもしれないなあ、なんて思ったのであった。

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